すると、泉さんも驚くほど、生徒達の予期せぬ反応が・・・
大久保舞さん。彼女は言葉をスムーズに発音する事が出来ず、
そのコンプレックスから、引っ込み思案になっていたのだが
次回は、お医者さんを招こうと思ってるんだけど、
誰かに、ピアノ弾いてもらいたいんだけどなぁ
すると―
(ゆっくりと挙手をする、大久保舞さん)
舞ちゃん!?
ピアノなら、自分を出せるかもしれない
なんと自ら立候補し、全校生徒の前でピアノを演奏したのだ
実はこの出来事の影には
大久保舞さん:
先生が、あのぉ まだ、あのぉ 私は食べ物が食べれる・・・から、頑張れる
って言われた時に、はぁ そっかぁ!と思って
私まだ、御飯を食べれるやん、と思って
前に、出ていけ・・・たと、はい、思います
更に―
財前俊寛くん。心が荒れていて、
泉さんが特に気に掛けていたのだが
「保戸島空襲を体験して」
伊藤文子
伊藤文子
原爆後遺症で苦しみながら、平和運動を行っている女性が、
講師として訪れた時だった
泉さんには、ある考えがあった
あっ ねぇ、ちょっとそこのあなた!真ん中の
ほら、こっち来て
・・・俺?
早く、こっちこっち
そして―
伊藤文子さん:
あなた、車椅子押すの、上手いねえ
初めて人に褒められた
財前俊寛くん:
どんな事に対しても、なんていうか投げやり・・・な感じだったんで
もう 怒られるのが、毎日
やっぱ、嬉しいですね。褒めてもらえると
かなり大きく変わったと思います、人生っていうのが
あの出来事が切っ掛けで、なんと俊寛君は、
看護師になりたいという目標を持ったのだ
泉さんや講師のメッセージは、
着実に生徒の心を変えていったのだ
だが、やがて、生徒達が命の重さを感じる痛切な出来事が
2003年11月
今まで・・・有り難う
是非、生徒さんと・・・いらして
それは稙田さん自らによる、死期の悟りを告げる電話だった
泉さんは、保険部だった奥田芙沙子さんと永岡美鈴さんを連れ、
稙田さんが再入院していたホスピスへ駆け付けた
山ちゃん・・・人のために、したいと思う事を・・・やり続けて
それが、稙田妙子さんの、命ある最後の言葉だった
稙田妙子さん 享年53
奥田芙沙子さん:
命の重みを・・・伝えるっていうよりかは、
自分の命を、なんか・・・大切に生きなさいっていうか
そして、稙田さんの最後の言葉は、
泉さんのその後の進むべき道を決定づけた
稙田さん等、多くの講師が語ってくれた、人と人との絆について、
自身の経験を交え、自らの言葉で語り始めたのだ
小さな親切でも、苦しい時は、とっても嬉しいんです
だが、いのちの授業を始めて三年半が経った頃、
もっとも恐れていた事が
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山田泉公式ブログ/どげしよっかえ? 豊後の山ちゃんワイワイ日記
「いのちの授業」を実践する元養護教諭の山田泉のコラムを掲載。
