山田泉「いのちの恩返し」の話(3)

2008年01月31日 フジテレビ 『奇跡体験!アンビリバボー』


すると、泉さんも驚くほど、生徒達の予期せぬ反応が・・・

大久保舞さん。彼女は言葉をスムーズに発音する事が出来ず、
そのコンプレックスから、引っ込み思案になっていたのだが

  次回は、お医者さんを招こうと思ってるんだけど、
  誰かに、ピアノ弾いてもらいたいんだけどなぁ

すると―

(ゆっくりと挙手をする、大久保舞さん)

  舞ちゃん!?

ピアノなら、自分を出せるかもしれない
なんと自ら立候補し、全校生徒の前でピアノを演奏したのだ

実はこの出来事の影には

  大久保舞さん:
  先生が、あのぉ まだ、あのぉ 私は食べ物が食べれる・・・から、頑張れる
  って言われた時に、はぁ そっかぁ!と思って
  私まだ、御飯を食べれるやん、と思って
  前に、出ていけ・・・たと、はい、思います

更に―

財前俊寛くん。心が荒れていて、
泉さんが特に気に掛けていたのだが

「保戸島空襲を体験して」
伊藤文子

原爆後遺症で苦しみながら、平和運動を行っている女性が、
講師として訪れた時だった

泉さんには、ある考えがあった

  あっ ねぇ、ちょっとそこのあなた!真ん中の
  ほら、こっち来て

  ・・・俺?

  早く、こっちこっち

そして―

  伊藤文子さん:
  あなた、車椅子押すの、上手いねえ

初めて人に褒められた

  財前俊寛くん:
  どんな事に対しても、なんていうか投げやり・・・な感じだったんで
  もう 怒られるのが、毎日
  やっぱ、嬉しいですね。褒めてもらえると
  かなり大きく変わったと思います、人生っていうのが

あの出来事が切っ掛けで、なんと俊寛君は、
看護師になりたいという目標を持ったのだ

泉さんや講師のメッセージは、
着実に生徒の心を変えていったのだ

だが、やがて、生徒達が命の重さを感じる痛切な出来事が

2003年11月

  今まで・・・有り難う
  是非、生徒さんと・・・いらして

それは稙田さん自らによる、死期の悟りを告げる電話だった

泉さんは、保険部だった奥田芙沙子さんと永岡美鈴さんを連れ、
稙田さんが再入院していたホスピスへ駆け付けた

  山ちゃん・・・人のために、したいと思う事を・・・やり続けて

それが、稙田妙子さんの、命ある最後の言葉だった

稙田妙子さん 享年53

  奥田芙沙子さん:
  命の重みを・・・伝えるっていうよりかは、
  自分の命を、なんか・・・大切に生きなさいっていうか

そして、稙田さんの最後の言葉は、
泉さんのその後の進むべき道を決定づけた

稙田さん等、多くの講師が語ってくれた、人と人との絆について、
自身の経験を交え、自らの言葉で語り始めたのだ

  小さな親切でも、苦しい時は、とっても嬉しいんです

だが、いのちの授業を始めて三年半が経った頃、
もっとも恐れていた事が

続きを読む

山田泉公式ブログ/どげしよっかえ? 豊後の山ちゃんワイワイ日記
「いのちの授業」を実践する元養護教諭の山田泉のコラムを掲載。

この記事へのコメント
コメントを書く
お名前:

メールアドレス:

ホームページアドレス:

コメント:

この記事へのトラックバックURL
http://blog.seesaa.jp/tb/82514875
※ブログオーナーが承認したトラックバックのみ表示されます。

この記事へのトラックバック